保健看護学部 保健看護学科看護学はともかくとして...(その2)

2016年10月07日


 みなさん、こんにちは。英語教員の吉田仁志です。

 昔々、古き良き時代のことです。ある大学で経済学概論の授業に全く出席しなかった学生が期末試験だけ受けに来て、「一国の経済状況を表す指標として GNP (国民総生産) よりも GDP (国内総生産) が使われるようになったことについて論述せよ」という問題に出くわしました。白紙だと当然0点ですから、この学生、「GNP や GDP はともかくとして、おいしい中華風甘酢あんかけ肉団子の作り方を紹介します」と書き出して答案用紙をすべて埋めると、何と合格したということです。

 私もこの体で、"看護学はともかくとして"英語について、あるいは英語教育について繰り言を並べてみます。

 近頃世間では英語教育ばかり槍玉に上げられて、大いなる批判を受けています。でも、できないのは英語だけではないでしょう。数学や理科だって、からっきしできないのに。国語だって相当に怪しい。母語である日本語でできないことが外国語である英語でできるはずがありません。早期の英語教育よりも国語教育の重視がもっと声高に叫ばれるべきです。国語の能力を磨いておけば、外国語は、それ相応の年齢になっても、後からついてきます。外国語の達人は日本語も立派です。すべての国民が英語を聞き話せるようになる必要は全くありません。必要な人が必要な時に勉強して習得すればいいだけのことです。その基になるのが国語力です。

 しかしその一方で、日頃あんなにカタカナ語を乱用しておきながら、語学がまるでできないというのも珍しい。年末にテレビのバラエティー番組をなんとなく見ていたところ、カタカナ語使用禁止のコーナーがありました。うっかり使ってしまうとお尻をバットで叩かれる罰が加えられるというもので、出演者全員が何度も罰を受けるといった有様でした。ことほど左様に日常社会生活が成り立たないほどカタカナ語にどっぷりと浸かっておきながら外国語ができないのなら、いっそのこと全部日本語に翻訳すればいいのにと思ってしまいます。たとえば「経済」ということばにしても昔の日本人が苦労して翻訳したものですし、漢字の本家の中国語にも採り入れられているほどです。

 翻訳というのも難しい問題です。ここに卑近な、一見明解な例を挙げてみましょう。シェークスピア (1564―1616, 今年は没後400年です) の有名な作品に Romeo and Juliet というのがありますが、これは通常『ロミオとジュリエット』と翻訳されています。大方の人はこの訳に疑問すら抱かないでしょうし、誤訳のしようがないとお思いでしょう。でもよくよく考えてみると問題ありです。男女の悲恋物語を扱った歌舞伎や文楽の外題の通称として、私たちはどんな言い方をしているでしょうか。「お染久松」「お半長右衛門」「お初徳兵衛」「お夏清十郎」...というように「と」は入れませんし、また女性の方を先に言います。したがって Romeo and Juliet の正確な翻訳は、『ジュリエットロミオ』とすべきです。いかがでしょうか。題名の翻訳だけでも難しい。しかしながら興味深い。日本語と英語、その違いを楽しむのも語学を学ぶ喜びの一つだと思うのです。

 昨今は実用技能ばかり強調されていますが、この面においても日本人であること、日本語話者であることを不利とみなさずに、日本語と英語を対照させて日本語を言わば武器にして外国語習得に役立たせればよいのです。英語を使う時は英語で考えよ、なんて言う人がありますが、日本で生まれ育った者にはそれは土台無理な話です。不利を有利にする発想の転換が日本人には求められている、そこをしっかり意識すべきだと考えます。

 以上まさに繰り言でしたが、少しでも "food for thought" を提供できたとすれば私としては幸いです。



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