鍼灸治療について

鍼灸治療とは

1.

鍼灸医学の理論体系は「気の思想」がよりどころとなっています。

鍼灸医学 はじめて「気の思想」が日本に導入されたのは、中国から漢字が入ってきてからと考えられています。そして今では「気」に関係する言葉は日常的に使われています。元気、天気、電気、勇気、正気、雰囲気、気力、気象、気分、気をもむ、気がつく、気味が悪いなどきりがありません。「気の思想」とは、宇宙の生成から生命現象に至るまで、すべてを「気」を根底において理解しようとしています。鍼灸医学の理論体系の多くが、この「気の思想」がよりどころになっています。体内の陰陽の「気」が調和しているのが健康で、「気」の調和が乱れると病気になり、「気」が散逸すると死ぬと考えられています。

2.

生体全体をみながら、「経穴(けいけつ:ツボ)」を通して診断し、オーダーメイドによる治療をおこないます。

オーダーメイドによる治療 「経絡」は気血の運行する通路であり、気血の過不足や邪気(じゃき)の侵入などによって、病気になります。そこで、局所の病変に対応するのではなく、生体全体をみて、どの「経絡」の異常によるのかを経絡上にある「経穴」を通して診断し、また、「経穴」に対してはり・きゅうなどで刺激をする、患者さん一人一人に対するオーダーメイドによる治療をおこないます。
一本の鍼(はり)と一握りのモグサ(きゅう)が「気」の流れを調整し、自然治癒力を引き出して健康を取り戻すことが出来ます。

3.

 「鍼(はり)・灸(きゅう)治療」は身体(からだ)に優しい安全な医療です。

身体(からだ)に優しい安全な医療 鍼は痛い。灸は熱いと言うイメージがありますが、決してそうではありません。鍼は髪の毛より少し太い位のごく細い使い捨ての滅菌されたもので、鍼管と呼ばれる管を使ってうまく刺入するのでほとんどいたみを感じません。また、灸も米粒またはそれ以下の大きさのモグサを使用して、途中で消す方法を使えばほとんど熱さも感じません。なお、副作用はまったくないとは言えませんが、「鍼(はり)・灸(きゅう)治療」は身体(からだ)に優しい安全な医療です。

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気(氣)について

身体(からだ)に優しい安全な医療

象形文字の始まりに甲骨または金字があり、殷代即ち紀元前1600~1200年に創造されたという。これに「气」はあるが、「米」はまだ見当たらない。結局「気」は合字で春秋時代紀元前400~500年ごろに出来たものではないだろうか。論語に血気という言葉が出てくる。
氣は象形文字(hieroglyph)である。本字はで、気には定まった形がない。気の立ち上る意で、气と書き示す。空気、気体、水蒸気、息を意味する。氣は雲気を表わすと自然の恵みの穀物を表わす米(芻米)との合字である。従って表音符号である英字で(Qi) (life energy) と呼ぶのは、気の内容を理解するのに困難がある。近代論理学的に言えば、形而上学的概念で、機能概念と考えてよいかもしれない。気は大地を包み、動けば風となり、吾人はこれを呼吸して生活する。全て万物生成の根源として、転じて1)風雨、寒暑、陰晴等の天地の現象、2)陰暦一年を二十四分せる一期節、3)人体の勢力、意思、感情等の議と(字源)と考えられてきた。
しかし、いずれにしても、洋の東西を問わず、古くは、人は、自然、大宇宙の一部と捉えてきた。われわれは基本的には、自然の摂理、法則に反しては生きていけないことを痛感している。西洋では大宇宙macrocosmos, 小宇宙microcosmosと言い、東洋では天人相関と言う。『呂氏春秋』(紀元前235?)に「流水腐らず、戸枢蝕まざるは、動けばなり。形(身体)と気もまた然り。形動かざれば即ち精流れず。精流れざれば即ち気鬱す。」と。従って、医学的に使われる気の源流は、大自然の気象と水利現象に基づいている。即ちあらゆるものは『気』の所産であり、自然の気と人の気は一体性と相関性を持つ。そして人の気には、生老病死に関与する生命体の広義の「気」の医学と、一方、狭義の「気」は、神経・精神機能を表わすことが多い。
気は形が無くて、機能であり、現象として捉えられ理解される。生命の根源であり、出生から死に至る間、さまざまな生命現象として表現具象化される。しかも自然の流れの中で、自然と呼応して表れ、存在する。西洋医学的二元論に言う心の働きも、身体的働きも全て気の具象化である。其の意味で、後藤昆山の「一気溜滞」説がある。例えば、気力、気分などは精神状態と共に、身体状態をもあらわす言葉である。
また、気滞、気鬱,気虚などは、精神医学的には抑うつ状態を指すし、すべての精神の認知機能もまた気の具象化である。同時に神経機能も狭い意味の気の働きと考えられる。瞬時に意思に従って動く手足の運動、微妙な刺激に対する反応も気の現れである。表現されなくても気は、自然に、生命体に存在する。静寂に、暗闇にも気は存在する。
従って、気を“life energy”と呼ぶことには若干の戸惑いを感じる。気の部分的表現と言うなら理解できる。

最近私は、あることに気がついた。中国医学の気血水の病理観を敷衍し、栄衛と言う概念が素問・霊枢に出ている。営気は脈内、衛気は脈外を行く気であり(脈中、脈外循環説)、『脈内を行く血、脈外を行く気』と言う他の説とに概念の混乱が読み取れる。しかし、私は栄衛を共に気と考えたい。電話やインターネットで言う、有線と無線との関係である。これは電気と言う気(電波)が脈内(有線)を流れるか、脈外(無線)で空中を流れるかにより、情報量と速度に差があり、また利便性が異なる。人体にあって、養分や情報の流れが、多様な形をとるのも当然であり、人体の精緻な構造機能にiTが漸くその根拠を一部与えられるようになったと考えている。

私は、最近、さらにインターネットの速度を上げるために、100Mbpsの光ファイバーに変えた。これまでの十数倍の速度で、膨大な情報量を一気に送るが、既に1,000Mbpsの送受信も可能と言われている。神経生理学的に、神経伝道速度を測定して、筋神経疾患の病変を探る検査があるが、われわれの体は、それらの機器よりもはるかに鋭敏に、正確に情報を伝達できる。これも人の気の一部である。又瞬時にして、状況を把握したり、一見して人の性格を見抜いたり、これも優れた気の働きである。こう考えてくると、今の学問は、気の現象を解析しているのかもしれない。

八瀬 善郎名誉学長(関西鍼灸大学紀要VOL2より)

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