2018年01月14日
平成30年度 年頭のあいさつ
皆さん、明けましておめでとう御座います。
今年は、西暦2018年戌(いぬ)年。1868年の大政奉還、すなわち、明治維新から百五十周年にあたる記念すべき年です。
当時の日本も今日と同じく、「行き先が不透明な時代」でした。その時代の中で、今日の大学、とりわけ私たち私学も、増大する世界人口の外からの大波、グローバリゼーションと、国内においては少子高齢社会の人口減少という引き潮、すなわち、この不安定な内外の荒波の直中に翻弄されている時代と言えるかもしれません。
国連によると、世界人口は、2015年(平成27年)には73億人、2050年には97億人、2100年には112億人と急速に増大し、先進国の低迷に対して、アフリカ・アジアなど発展途上国が急増して、世界の人口の均衡が崩れ、不安定で不透明な時代に突入すると言われています。
さて、150年前の日本も現在とも明治維新とよく似た、さらに厳しい時代でした。この先の見通せない時代、不安定な時代の中で、懸命に未来をてらす「灯火(ともしび)」を掲げた二人の偉人がありました。西郷隆盛と夏目漱石です。
今年の大河ドラマは、「西郷どん」と言われていますが、彼は「敬天愛人」という言葉を、また、夏目漱石は「則天去私」という言葉を残しています。
今日は、西郷どんの「敬天愛人」について、本学の「建学の精神」や「クレド」にある「忠恕」や「修己治人」との関連に少し触れたいと思います。
西郷さんの考えを知るには、彼を敬愛した東北の庄内藩で編纂された小冊子『南洲翁遺訓』があります。その中で、彼は「講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以もって終始す可べし」「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」と語っています。
本学の建学の精神は「社会に役立つ道に生き抜く奉仕の精神」です。その「社会役立つ道」、すなわち、「講学の道」は、天を敬して人として行う道であり、「我を愛する心を以て人を愛する」、すなわち、「忠恕(まごころ)」を持って人を愛し、「身を修するに克己を以もって終始す可べし」とあり、「修己治人」とその意味するところは同じで、「奉仕の精神」とも通じるものです。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
西郷さんは、幕末の儒者・佐藤一斎を尊敬していました。佐藤一斎の著書『言志四録』は、弟子であった佐久間象山をはじめ、吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬、伊藤博文といった幕末の志士にも大きな影響を与え、さらに松陰の門下には、明治の創世期に活躍した高杉晋作、伊藤博文、山形有朋らがいます。佐藤一斎は歴史の流れについて、「天の意思も人間世界のあり方も刻一刻と変化している。それゆえ、歴史の必然的な流れをとどめることはできないし、人間の力ではその流れを早めることもできない」と述べています。
つねに一斎の「天」の思想は西郷さんに受け継がれ、座右の銘「敬天愛人」となっています。
ある日、陸軍大将であった西郷が、坂道で苦しむ車夫の荷車の後ろから押してやったところ、これを見た若い士官が西郷に「陸軍大将ともあろう方が車の後押しなどなさるものではありません。人に見られたらどうされます」と言いました。すると、西郷は憤然として次のように言い放ったといいます。
「馬鹿者、何を言うか。俺はいつも人を相手にして仕事をしているのではない。天を相手に仕事をしているのだ。人が見ていようが、笑おうが、俺の知ったことではない。天に対して恥じるところがなければ、それでよい」
他人の目を気にして生きる人生とは、相手が主役で自分は脇役です。正々堂々の人生とは、真理と一体になって生きる作為のない生き方です。天とともに歩む人生であれば、誰に見られようとも、恥をかくことはありません。
西郷さんは、志士や英雄の闊歩した明治維新のなかでも特に人望のあった日本人でした。さらに現在でも、鹿児島出身の京セラの名経営者・稲盛和夫氏にもその精神は受け継がれ、この混迷の時代の経営における「灯火」となっています。
さて、江戸時代後半の人口は3,000万人強で安定していましたが、維新後3,300万人となり、その後第一次、第二次世界大戦の「富国強兵」政策から、戦後の「高度成長期」を経て、2004年まで一気に急上昇し、人口は12,784万人でピーク(高齢化率19.6%)に達して、以後減少に転じています。この2018年は、団塊ジュニア世代が出産期から外れ、団塊世代の戦後のベビーブームにおける年間出生数269万7000人(1949年)から100万人を切る事態となっています。
これは2018年問題といわれ、「進学希望者の減少」への転換点とされています。しかし、この人口減少は今に始まったことではありません。戦後のベビーブームは1947~1949年の3年間しか続かず、翌1950年には年間出生数233万7000人と一挙に36万人減り、更に7年間後の1957年(昭和32年)には年間出生数156万7000人の落ち込み、1949年からは計113万人も急激に減少しています。まさに、この年に私たち学園の関西鍼灸柔整専門学校が創立されております。少子化の影響は、団塊の世代の高齢化と進学率の上昇の陰で、これまで社会の表層には現れては来ませんでした。しかし、現実には、1995年生産人口もすでにピークアウトしておりました。
これからの人口の推移は、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)によりますと、2030年には人口11,522万人(高齢化率31.8%)となり、2039~2040年には死亡数のピークを迎え、ここまでは人口減少は止まらないと言われています。厳しく見れば、日本人は「絶滅危惧種」であるとさえ言われています。少子高齢化への人口動態は先進国の一般的特徴と言われますが、実際は2010年の人口を100とすると、2060年人口が減少する国は、日本 (67.7)、韓国(89.9)、ドイツ(79.1)の3国のみで、その他の先進国、イタリア(102.8)、スウェーデン(116.0)、イギリス(131.4)、ノルウェー(141.7)、アメリカ(142.1)、オーストらリア(163.1)など人口増加するとされています。
では、私たちはどうすればいいのか
ここで、大きな発想の転換が必要とされています。私たちの大学も、これまでの高度成長期の"上昇への脅迫観念"からの脱出する必要があるのではないでしょうか?
量から質への転換―大学の「ブランド」をはっきりと掲げる、荒海にもまれても倒れないマスト、西郷さんの「敬天愛人」という明治維新の「灯火」となった理念をもとに、「建学の精神」を真にこの地に根付かせ、具現化しなければならないと考えています。
入学志願者の減少という2018年問題に対抗して、魅力ある「ブランド力」をつけるには、
- 「大学は誰のものか」ー学生が第一(Student-first)
- 「わたしたち大学の果たすべき役目は何か」(ミッションの確立)
を明確にすることにあります。すなわち、「この大学の4年間でどういう人にして卒業させるのか」と問い直して、「グローバル環境に対する認識をやしないつつ、国内において中核となる技能を備えた医療人を育成する」と言うミッションを具現化することではないかと考えています。
そして、それを保証し、検証する教職協働システムの二つの柱を確立すること、すなわち、一つは、ミッションを反映した工程表=「シラバス」、「ナンバリング」、「カリキュラムツリー」等をシステム化するこ、二つ目には、成績・教育効果の適正な評価=IR推進室の確立とfGPAの導入し、客観的基準をつくることではないかと考えています。さらに、それを得られた成果の検証し、更に発展させることが求められると思います。すなわち、PDCAサイクルの確立です。
常に、「学生のためになっているのか」、「学生の成長に資することになっているのか」、
「学生が払った学費に見合う教育をその学生に還元できているのか」と問うことが必要です。
最後に、初春おける当面の課題として、来週に迫った、入試センター試験の単独開催、2月22日は本学園創立60周年記念祝賀会を経て、更に4月1日作業療法学科の新設へと続き、本学はしっかりとしたミッションを掲げて、2学部6学部の医療系総合大学へと質実共に発展させなければなりません。
不沈の黒船として、本学の「建学の精神」共々「天敬愛人」の帆を掲げて、この荒海を乗り切りたいと思います。
どうか今年も皆さんのご協力をお願い致します。力をあわせて頑張りましょう!
平成30年1月6日
関西医療大学
学長 吉田宗平