2021年01月06日
令和3年度 年頭のあいさつ
新年、明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
今年は、辛丑(かのとうし)といわれる年です。「辛は痛みを伴う幕引きを、丑は殻を破ろうとする命の息吹」を意味するそうです。昨年より、未だつづく新型コロナ・パンデミックの禍中、新しい息吹を呼び起こす年にしたいものです。お陰様で、昨年は、危機管理委員会を中心として、全学的に感染対策に当たって頂き、幸いにも学内でのクラスターの発生を、未然に防ぐことができました。皆さんが、教職協働して、懸命に対応して下さったことに感謝申し上げます。この緊急事態宣言が求められる状況の中でもあり、安全性を確保するため残念ですが、メール配信でのご挨拶となりました。
今年も、感染拡大が持続する禍中では、「Stop and Go」の原則、つまり、基本姿勢としては取り組みを停止しつつ徐々に再開をはかる、一方、「Go and Stop」の原則は、基本的には取り組みを慎重に進めつつ、何かあれば停止するという、両面作戦を柔軟にとりながら、痛みに耐え、一歩一歩進むことが求められています。「すべての物事に正解や万全の解決策があるわけではない」と言われます。しかし、私たちは、「正解と見えるもの」に飛びつき易く、寛容さを失うことが多々あります。この危機の中でこそ、「どうにも答えの出ない、どうにも対処のしようのない事態に耐えうる能力」、あるいは、「性急に照明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」が必要です。この能力をイギリスの詩人キーツは、シェイクスピアの創作姿勢の中に発見して、「ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)」と呼び、ある友への手紙の中で書きました。私たちは、「能力」といえば、これと真逆な、才能や才覚、物事の迅速な処理能力、いわゆる、「ポジティブ・ケイパビリティ(positive capability)」を性急に求めます。今日の学校教育や職業教育でも強調されることです。しかし、それは「分かったつもり」の浅い理解のみで、その本質を取り逃がしてしまう危険性を孕んでいます。まずは、性急な自己主張を控え、物事や他者との関係を先入観を固守せず、寛容に見つめる柔軟な姿勢がなければ、物事の本質や他者との真の共感を得ることはできないと警告しています。私たちは、「正しく恐れ」、慎重に状況判断しながら、「答えの出ない」社会状況の中で、一歩一歩慎重に進む忍耐力、底力を持つことが求められています。未だ息を抜けない感染拡大の禍中にあります。今年一年も、どのような年になるか、想像もつきません。コロナ禍の闇が、まもなく晴れることを願ってやみません。この辛丑の一年も、昨年にも増して、ご協力の程宜しくお願い申し上げます。
さて、年明け早々ですが、ご存知のように大学入学共通テストが、目前に迫っております。三十一年ぶりの大学入試制度改革と言われます。前年度よりも、2万2454人減少し、今年は53万5245人が受験します。過去最多の利用校数であり、国公立の入試に利用され、また、私立大学においても約9割が利用すると言われます。第一日程1月16、17日で53万4524人、特例追試験としては、第2日程1月30、31日で718人が受験します。本学は、第一日程に関わっており、403人が受験します。厳冬の中、新型コロナの感染拡大の状況に関わりなく施行されます。この全国的な受験生の移動より、感染拡大が更に引き起こされる可能性が大です。受験生の安全を守りながら、この難関を乗り越えるには、教職員の皆さんのご協力とご自身の体調管理が、極めて重要となります。勿論、本学の入学試験もこれからが本番です。また、3月には、卒業式を控えておりますが、昨年は中止となり、卒業生の皆さんには大変寂しい思いをさせてしまいました。本年は、教職員の皆さんの協力のもと、十分な感染対策をとりながら、卒業生の皆さんの気持ちを大切にして、各学科個別に施行することとなりました。教職協働の絆をしっかり結んで、この難関を乗り切りたいと思います。
一方、これからの大学教育はどうなっていくのか。今後、新学期を迎えるに当たっても熟考し、対策をとることが求められています。医療大学として、実習や演習を含めた「対面授業」は必須です。将来の医療現場で働くことを考えると、チーム医療の一員として、どうしてもコミュニケ―ション能力の習得が必須です。それには、患者さんとの視聴覚の「二感」だけではなく、「五感」を通した臨場感を持った「対面授業」や、粘り強く向かい合っての患者さんとの対話の経験など、極めて貴重です。しかし、「遠隔授業」も大講義室での授業の代替となるばかりか、「反転授業」にも不可欠とされています。また、いつでもどこでも何人でも授業が可能である利点は、単なる新型コロナ対策というのみならず、今後、学生の深い理解や成長に貢献し、「教育の質」の向上に必須のツールとなります。こうした両者の特徴を活かすためにも、今後の授業計画を学生本位(student-oriented)の立場から再考すべきと考えます。このコロナ危機を機会とすべきです。対面授業の配分や、対面と遠隔を同時にハイブリッド方式でなど創意工夫し、教育の質を落とさないことが肝要です。本学においても、新たな「教学マネジメント体制」の構築が急務とされます。これは、授業料返還問題などとも係わる大学の在り方、その経営戦略や財政計画とも深く係わる問題です。私立大学にあっても、もともと教育や医療は「社会的共通資本」として、社会的に世代から世代へと引き継がれていくべきものと思います。
もう一つ重要な事は、このコロナ禍の中、日本の出生数は、高齢社会保障・人口問題研究所によると、2020度は前年度比2%減となり、推計85万人を割るとされています。第2次ベビーブームの70年代前半以降、出生数は減少し続けており、2017年予測では、90万人割れは2020年、84万人台は2023年とされていましたが、想定を超えて少子化が加速しており、このコロナ禍が拍車を掛けたと言えます。一刻も早く、新型コロナの感染拡大を収束させないと、この20年後には、大学ばかりではなく、日本の社会は極めて厳しい状況に陥ると想定されます。その意味で、20年後を目指した中教審答申「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」の具現化を、慎重に再考すべきと思われます。その重要なキーワードは、「高等教育の多様性」です。私立大学は、国公私立大学の中で、大学数で約8割、学生数で7割強(608校、令和元年)を占め、「総体として多様性をなす」大きな社会の中堅層の育成に大きく貢献しています。しかし、昭和51年私学振興助成法が施行され、その後同法第4条に経常的経費の2分の1以内の助成ができるとされました。昭和55年には29.5%と上昇しましたが、その後財政悪化のためとされ、現在は10%にも満たない厳しい現状にあります。私立大学にとっては、緊急に改善されるべき課題と言えます。しかしその中で、私たち私立大学が、生き残るためには「建学の精神」に立ち返り、「ガバナンス体制」を整備しなければなりません。そして、学外の諸機関・諸組織とも連携して、社会の多様な要求に答え得る大学として、存在価値を示すことが重要です。それには、地域社会と連携してプラットホームを築き、地域社会に生き残る大学として成長・発展することが求められています。この度、本学は、このコロナ禍の中、昨年12月に熊取町とPCR検査に関する協定を結びました。地域社会の中で医療大学として貢献することも重要です。
最後に、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、人類の経済活動が地球に与えた影響が余りに大きいことから、地質学的にみて、地球は新たな年代に突入したと述べています。それを「人新世(ひとしんせい)」(Anthropocene)と呼んでいます。私たち人間の経済活動の痕跡が地球表面を覆い尽くした年代とされます。実際、地上には、ビル、工場、道路、農地、ダムなど、また、海洋にはマイクロ・プラスチックなどが大量に浮遊しています。すなわち、人工物が地球を覆い尽くしており、その中でも飛躍的に増大してきたのが、大気中の二酸化炭素だとされ、地球温暖化の主因とされています。今回のコロナ禍についても、人間の経済活動の増大が、高度な交通網と大都市における人口密集をつくり出し、コロナウイルスが適応しやすい、また、クラスターの発生しやすい環境条件をつくり出したことが、その主因となっています。過去時代における隔離され、孤立した小集団の狩猟農耕社会では、パンデミックは起こりようがありません。日本の少子高齢化とは逆に、世界人口は近代において指数関数的に増加し、現在は77億人、毎年1.1%増加するとされ、2100年には112億人に達すると予想されています。しかし、地球上で生産できる食料だけでみても、100億の人間を養うのが限度と言われています。それ以外にも、健康を保護し、知的精神的な成長を可能にするような物理的空間・汚染されていない化学的・生物学的環境が確保されていなければなりません。指数的な増加現象は、いずれ何処かで必ず破綻するとされます。地球の環境収容力には限界があり、ある種の環境圧が加わります。それが、「人新世」の地球の気候や生態系にあらわれた変動であり、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックも、増大する人間社会への一つの警告と考えられます。新型コロナウイルスの「新型」というのは、人類の生態系へ私たち自身が、新たに引き入れたことを意味します。私たちは、勝手に「ウイルスとの闘い」といいますが、コロナウイルス自身は、私たちを襲って来たのでも、私たちと戦っているのでもありません。ただ私たちがつくり出した「人新世」の環境に翻弄され、適応しようとしているのに過ぎません。それは、私たち自身が、新型コロナウイルスが生存しやすい環境条件を地球上につくり出したことにほかなりません。一体、誰がだれと戦っているのでしょうか。このことを、私たちは、よく考え「正しく恐れ」、深く認識しなければなりません。根拠のない「インフォデミック」に惑わされてはなりません。勿論、コロナ感染拡大の収束は、安全性の高いワクチンの完成による集団免疫の形成に依りますが、私たちにとって、究極のキーワードはマスク着用と「三密」です。これを、「知識のワクチン」として、私たち自身の行動規範として社会に広め、「知識の集団免疫」を形成しなければなりません。また、それ以上に、ポスト・コロナ社会において、私たちの切り裂かれた社会と教育における絆を、新たな環境のもとで、如何に再構築していくか、大きな課題です。もう、もと来た道には戻れません。これからの社会に役立つ道に生き抜くこと、高度成長時代からの「滅私奉公」ではなく、新たな時代の「活私開公」の公共の哲学―「奉仕の精神」―へとパラダイム・シフトすることが求められています。かつて、激動の明治時代、福沢諭吉は「公智」と「奴雁(どがん)」という言葉で、大学人としての私たちの果たすべき使命を語っています。
人事の軽重大小を分別し軽小を後にして重大を先にしてその時節と場所とを察する働きを公智と云ふ(福沢諭吉『文明論之概略』、明治8年)
群雁に在りて餌を啄むとき、その内に必ず一羽は首を揚げて四方の様子を窺い、不意の難に番をするものあり、之を奴雁と云ふ。学者も斯くの如し。天下の人、夢中になりて、時勢と共に、独り前後を顧み、今世の有り様に注意して、以て後日の損得をろんずるなり。
(福沢諭吉『民間雑誌』、明治7年)
長々と私見を述べてしまいましたが、最後までお読み頂いた教職員の皆さまには、深く御礼申し上げます。
改めて、明けましておめでとう御座います。
本年も宜しくお願い申し上げます。
令和3年1月6日、仕事始めに当たって
関西医療大学
学長 吉田宗平