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2018/05/15

Message.07

平成三十年度入学式式辞

 「夜の次に朝が来て、冬が去れば春になるという確かさ」、その中には限りなくわたしたちを癒してくれる何かがある」
と、アメリカの女性海洋生物学者、『沈黙の春』を著したレイチェル・カーソンは述べています。

 この春のよき日、平成三十年度関西医療大学並びに大学院入学式を挙行するに当たりまして、熊取町長藤原敏司様、本学園交友会会長黒山紀男様をはじめ、ご来賓の皆様方には公私共ども何かとご多用の中、本式にご臨席賜り誠に有難うございます。熱く御礼申し上げます。
また、この式の後、特別講演をして頂きます、株式会社ヒューマン・スキル・カレッジ代表取締役で、本学客員教授でもあります、坂東弘康先生にもご臨席いただき誠に有難うございます。

 この度、入学して頂いた、保健医療学部259名、保健看護学部104名、合わせて、364名の大学新入生の皆さん、また、大学院は、7名の入学生の皆さん、そして、ご列席のご父兄の皆様には、この度のご入学、誠におめでとうございます。

 私ども教職員一同、心から皆さんを歓迎し、期待に沿えるよう、精一杯努力してきたいと思います。大学での四年間、大学院の2年間、皆さんが自信と誇りを持って勉学に励まれますよう、心から支援したいと願っています。

 本学園は、建学の精神「社会に役立つ道に生き抜く奉仕の精神」のもと、創始者武田武雄が、昭和32年大阪「あべの」に、現在の関西医療学園専門学校を設立したことに始まります。その後、昭和60年に、関西鍼灸短期大学を泉南郡熊取町に開学し、平成15年には、四年制大学として改組変更し、関西鍼灸大学となりました。更に、平成19年、関西医療大学と名称変更し、以来、広く保健・医療分野に門戸を開てきました。
そして、昨年度、本学園は、六十周年無事を迎えることが出来ました。

 また本年度、大学には、新たに作業療法学科が加わり、保健医療学部は5学科となり、保健看護学部の保健看護学科と合わせて、大学は、2学部6学科となりました。
大学院には、保健医療学研究科(修士課程)があります。
現在、本学は、大学と大学院を合わせましと、学生総数1311名を擁する保健医療系の総合大学となり、ここ十数年で、大きく発展してまいりました。
これまで、建学の精神に則り、鍼灸学をはじめとする東洋医療の伝統のもと、西洋医学と融合した全人的医療を担う人材の育成を目指し、社会に貢献してきた成果ではないかと感謝しております。
また、本学のクレド(信条)には、究極のホスピタリティを提供し、単なる技術ではなく、自然と人のつながりを大切にする科学的精神と人間性を備えた、ヘルス・アートとしての医療を実践できる人材の育成を、到達目標として掲げてきました。

 さて、先ほど述べたアメリカの女性海洋生物学者レイチェル・カーソンは、1962年『沈黙の春』を著し、環境問題を世に問いました。そして翌年には、世界平和や人道援助活動などで貢献したことでシュバイツアー・メダルを受賞しています。
その『沈黙の春』巻頭には、アルベルト・シュバイツァーに捧ぐ、シュバイツァーの言葉― 「未来を見る目を失い、現実に先んずるすべを忘れた人間。その行き着く先は、自然の破滅だ。」とあります。

 また、彼女は、自分の母のことを、「私が知っている誰よりも、アルベルト・シュバイツアーの『生命への畏敬』を体現していた」と、その母に育てられた生い立ちを感慨深く回想しています。

 レイチェルの高校卒業アルバム写真の下にはこんな詩が書かれていたそうです。

レイチェルは真昼の太陽
いつも輝かしく
納得するまで学ぶことをやめない
正しい答えにたどり着くまでは

 彼女は、高校時代は、文章がうまく、「作家になること」が夢でした。しかし、ペンシルバイニア女子大学二年生のとき、人生を変えた出会いがありました。それは、女性生物学者のメアリー・スコット・スキンカー先生との出会いでした。当時は、「科学は女性に向かない」という凝り固まった偏見と、それゆえの排除の論理がまかり通る社会でした。スキンカー先生は一人の女性として、その社会の中で、懸命に闘いながら科学者としての道を切り拓いていこうとしていました。その先生との出会いに電撃のような予感を覚え、レイチェルは、その後の進路を生物学へと変え、ジョン・ホプキンズ大学大学院へ進学しました。しかし、その道は、けっして平坦ではありませんでした。それでも、苦労の末、海洋生物学者としてアメリカ内務省漁業局に採用され、海洋生物、海と海のなかにいる生物についてのエッセイ文章を書くうちに、文学的才能を認められ、『潮風の下で』と題して一冊目の本を書きました。膨大な文献を生来の性格から調べ尽くし、その著書の中で、「自然は壮大な連鎖のなかにある、人間も含めた様々なネットワーク、たえまなく繰り返す連鎖の中にある」、と述べています。
その著書は、「そこには詩情があるが、感傷はない」、すぐれた文学の香りのするノンフィクション文学であると高く評価され、彼女は「海の伝記作家」と呼ばれるようになりました。しかし、当時、第二次世界大戦が勃発し、その讃辞とは裏腹に本は全く売れませんでした。
やがて、戦後、「科学の時代」が訪れずれ、人々の関心が、自然界でそれまで未知とか謎とされていたものに向けられるようになりました。その中で、二冊目の『われらをめぐる海』を出筆し、『潮風の下で』が再版され、さらに三冊目の『海辺』が出版されて、海の三部作が完成しました。海について書く作家としてレイチェル・カーソンは、文学の世界でも科学の世界でもその地位を不動のものとしました。

 一方、1939年スイスの科学者パウル・ヘルマン・ミュラーによって殺虫剤DDTが発見され、第二次世界大戦中から熱帯地方など害虫に苦しむ世界各地の戦場で使われました。実際、伝染病を媒介する害虫には効果が大きく、発疹チフスやマラリアを撲滅させました。
終戦直後、日本でも、国中にノミやシラミがはびこっていたため町中のあちこちで白い粉が撒かれていました。この情景は、私の幼い頃の記憶にも残っています。
また、農薬としても、DDTは害虫駆除にめざましい効果を上げ、農業の生産性が飛躍的にのびました。そのため、世界中で利用され、DDTは「魔法の薬」とも「世界の救世主」とも呼ばれました。
この業績に対して、ミュラーはノーベル(生理学・医学)賞を受賞しています。しかし、DDTをはじめ殺虫剤や農薬は、合成化学薬品であるため、もともと自然界にはないもので、分解されにくく、有害な状態で長い間環境中に残留するという問題点がありました。そして、環境中に残留した有害物質がやがては食物連鎖によって生きた物たちの体内に取り入れられ、蓄積し、次々と深刻な異変を引き起こしていました。そのことに対しては、当時、人々も行政も目を向けようとしませんでした。彼女は、この問題の調査・研究を進めていく中で、世界中の研究者たちにも疑問点を尋ね、助言を求めましたが、返って反感をかうばかりでした。こうして最後には、彼女は、募る危機感から、「私が書くしかない」と、決意しました。しかし、不幸にも、その年、最愛の母亡くなりました。更に、2年後、彼女の胸部に悪性腫瘍が発見されました。それでも、「納得するまで学ぶことをやめない」粘りで、彼女は、執筆を押し進めました。彼女は体調の悪化と闘いながら本を書き上げました。そして、最後まで思い悩んだのは、その本の題名でした。これを助けたのは、長年の友で、彼女を支えてきた助手のマリーでした。マリーは、『沈黙の春』という題名はどうかと彼女に提言しました。それは、イギリスの詩人、ジョン・キーツの詩の一節、「湖のスゲは枯れ果てた、そして鳥はうたわない」から連想したものでした。
一方、レイチェル自身も、『そして、鳥は鳴かず』という章の中で「春がきたのに鳥は鳴かない」と書いていたからです。正に、キーツの詩と共鳴する情景を書いていたからです。
1962年、『沈黙の春』は出版されましたが、ニューヨーク・タイムズは、「『沈黙の春』はいまや"騒がしい夏"になったと、当時アメリカで起きていた大論争を伝えました。彼女は〈自然に仕える修道女〉と揶揄され、殺虫剤や農薬業界の巨大資本と戦うだけでなく、「女のくせに身のほど知らずのことはするな」という当時の根拠のない男性優位をふりかざす、アメリカの古い道徳観や価値観とも戦わなければなりませんでした。
この激しい、国を二分するほどの論争に終止符を打ったのは、ときの大統領、ジョン・F・ケネディでした。彼は、この論争は、国民の健康や生命、ひいては地球の未来に重要な意味を持つと考えていました。ケネディ大統領は、翌1963年には、大統領直属科学諮問委員会を設置し、八か月間の調査と検証を経て、『沈黙の春』の正当性を認めたのでした。そして同年、彼女は、シュバイツアー・メダルを受賞しました。それは、1957年、アルベルト・シュバイツアーが「核実験禁止アピール」の中で《人間自身がつくり出した悪魔が、いつか手に負えないべつのものに姿を変えてしまった》と語っていたことに、深い感銘を受け、敬意を表して、巻頭にシュバイツアーの言葉を上げ、『沈黙の春』を捧げたことによります。そして、最後の講演をサンフランシスコで、しましたが、翌年の1964年、彼女は56歳で、ガンと戦いながら息を引き取っています。

 この『沈黙の春』は、今や、地球の環境問題・自然保護の古典、バイブルとなっています。東日本大震災、福島第一原発事故後、日本でも、この本の読者が増えてきていると言われています。それは、何を物語っているのでしょうか?
この著書の中で、彼女は。「核実験で空中に舞い上がったストロンチウム90は、やがて雨やほこりにまじって下降し、土壌に入り込み、草や穀物に付着し、そのうち人体の骨に入り込んで、その人間が死ぬまでついてまわる。だが、化学物質もそれにまさるとも劣らぬ禍をもたらすのだ」と述べています。1990年の時点で、彼女は、放射能と同時に化学物質も同様に深刻な問題だと捉え、「こういうことこそ人類全体のために考えるべきだ」と訴えていたからです。
そして、彼女は警告しています。

 「わたしたち、はいまや分かれ道にいる。だが、どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うまでもない。長いあいだ旅してきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍であり破滅だ。」と。「もう一つの道は、あまり《人も行かない》が、この道を行く時こそ、私たちは自分の住んでいるこの地球の安全を守れる。」「そして、私たちが身の安全を守ろうと思うならば、最後の、唯一のチャンスといえよう。とにかく、どちらの道をとるか、決めなければならないのは私たちなのだ。」と語っています。

 レイチェルが亡くなって、すでに半世紀以上が過ぎました。
現代の日本の私たちとっても、甚大な原発事故を起こした「3.11」から7年が過ぎました。しかし、「安全神話」をつくろうとする姿勢は、なお克服されていません。
21世紀の日本は、人口減少と少子高齢化が加速する中で、核家族化や家庭での男女の役割分担が変化し、女性の社会進出が目覚ましく、一方では、増加する高齢者などとの多様で、多世代に亘る生活・労働環境へと変貌しつつあります。また、都市化と地方と中央との格差拡大などAIの進展に伴う知識基盤社会への急激な変化の中で、皆さんの世代の価値観も大きく変わろうとしています。

 レイチェルの言うような〈べつの道〉を模索することも考えるべきではないでしょうか。
「競争」よりも「共生」、「物質的な豊かさ」よりも、「自然と共生する豊かさ」、すなわち、皆さんの世代には、「物」より「心」、「効率」より「安定」を求めること、あまり《人も行かない》べつの道を選択し、自然と共生する価値観へと軸変換することが大切ではないでしょうか。これから本学で医療の道を歩み始める皆さんは、広い視野で、地球上の多様な生命の繋がりを深く学び、それを見失わない生き方をして欲しいと思います。
レイチェルは、「私たちが住んでいる地球は人間だけのものではない」、「ひとりで生きているものはなにもない」と言っています。皆さんも、そのことを忘れないで頂きたいと思います。

 彼女の死の翌年、〈センス・オブ・ワンダー〉という本が出版されました。この題名は、「自然と生命の神秘さ、不思議さに目をみはる感性」を意味しています。
「この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する変わらぬ解毒剤になるのです」すなわち、「子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感性は、この種子をはぐくくむ肥沃な土壌です。」「美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐み、讃嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、つぎは、その対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身に付きます」、そして、「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではないと固く信じています」と、レイチェルは述べています。

 最後に、シュバイツアーも「理性とは、認識と幸福を求める欲求である。すべての認識は、生命の謎に対する驚きである。『認識』とは、結局は『生命への畏敬』なのであると述べています。この言葉は、正に、レイチェルの〈センス・オブ・ワンダー〉そのものです。

 どうか皆さんは、この言葉を忘れずに、泉州の海と山に囲まれた豊かな田園の街で、これからの大学生活をエンジョイし、自然や人との出会い、そして、つながりを大切にして、〈センス・オブ・ワンダー〉の土壌を自ら培い、その上にヘルス・アートを身に着け、究極のホスピタリティを実践できる医療人を目指して頂きたいと思います。

 あらためて、ご入学おめでとう御座います。

平成三十年四月五日
関西医療大学学長 吉田宗平

2018/05/15

Message.06

平成二十九年度卒業式式辞

 このよき日、平成二十九年度関西医療大学並びに大学院修了式を挙行するに当たりまして、ご来賓の皆様方には公私共ども何かとご多用の中、本式にご臨席賜り誠に有難うございます。熱く御礼申し上げます。

 保健医療学部―はり・灸スポーツトレーナー学科、理学療法学科、ヘルスプロモーション整復学科、臨床検査学科の四学科154名と、保健看護学部―保健看護学科の74名と合わせて両学部228名の卒業生、および、大学院は、保健医療学研究科修士課程8名の修了生、合わせて236名の皆さん、また、ご列席のご父兄の皆様には、この度のご卒業ならびに修了、誠におめでとうございます。

 さて、昨年、本学園は六十周年記念を迎えました。
それを記念する意味で、また、本学園の創設者武田武雄先生の建学の精神、「社会に役立つ道に生き抜く奉仕の精神」を引き継ぎ、益々学園を継承・発展させため、この度、学長賞に加え、新たに「武田賞」を設けさせて頂きました。これは、創始者の建学の精神を皆さんと共に、引き継ぎ発展させていこうとする私どもの学園の新たな意志表明でもあります。

 これから社会へと旅立つ卒業生ならびに修了生とそれを支えて来られた父兄の皆様方、また、すでに社会でご活躍されている校友会の皆様方のお力をお借りして、今後、激動する少子高齢社会の中で、七十年、百周年へと学園を発展させ、大学としても、大きな理念に向かい、「奉仕の精神」を第一に、「社会に役立つ道」を教職員協働して、探求し、新しい時代を切り開いて「生き抜く」ことが求められています。

 一方、日本だけではなく、世界においても、IT社会の到来とグローバリズムの中で、今日ほど、「大学とは何か」、「大学における教育とは何か」と問われている時代はありません。

 この度の学部卒業生の皆さんは、私が初めて本学の学長となり、お迎えした最初の入学生でした。もうお忘れかも知れませんが、私はこんな話をさせて頂きました。
2011年三月十一日、東北大地震の最中の東京ディズニーランドでの出来事です。当夜、東京ディズニーランド内に二万から三万人のお客様がとどまることを余儀なくされました。従業員はお客様への対応や、施設・建物の安全を点検する作業に奔走しましたが、夜七時頃、結局、屋外にいた一〇〇〇人以上のお客様を東京ディズニーシーの施設内ですごして頂くことになったそうです。ディズニーシーへの移動の際、お客様、ゲストの安全を第一に考え、これまで極秘で非公開となっていたバックステージをはじめて開いて、そこにはライトを持ったキャストがズラリと両脇に並び、長い光の誘導路を作って整然とお客様を導いたといわれています。このような混乱の状況の中でさえ、「究極のおもてなし」、ホスピタリティを実践できたことがテレビや様々なメディアによって、脅威をもって報道されました。ここに、皆さんがディズニーランドへ、一度行ったら、また行きたいと熱心なリピーターとなる秘密が隠されています。
この「究極のおもてなし」、ホスピタリティという言葉は、間直に迫った二〇二〇年の東京オリンピック招致のキーワードとなりました。その原義の一つには、もともとホスピタル、「病院」という言葉が含まれています。また、二つ目には、キリスト教の慈善施設などを指すとされています。
私たちのAI化する現代社会や高度化する先進医療の中で、このホスピタリティは生きているでしょうか?
この四年間あるいは二年間で、本学において何を身に着け、まなばれたでしょうか?
その成果が、これから旅立たれる社会の中で、まさに問われます。
「ホスピタリティと知識・技術」―本来はそのどちらも必要ですが、敢えていうならば、第一とすべきはホスピタリティ、すなわち、「人」であり「心」ではないでしょうか?
すなわち、「ホスピタリティ・マインド」です。確かに高度な知識・技術は必要ですが、十分条件とは言えません。現代の少子高齢社会にあって、高度先進医療から地域包括医療へと変動しつつある中、これから医療を支えて行く皆さんにとって最も大切なことと思います。
私が学長となって、一番嬉しかったことは、本学を訪れて下さる来賓の皆さんが、「今日、初めてこの大学にきて、学生の皆さんが口々に、明るく挨拶してくれる事だ」とおっしゃって帰られることです。これは、本学に根付いた大切で、貴重な一つの校風、文化、すなわち、先に述べました「ホスピタリティ・マインド」、いわゆる「奉仕の精神」の原点ではないかと思います。このことが、これから社会へと旅立つ皆さんにとって、最も大切な事だと思います。

 しかし一方、現代は、高度なICT技術の発展、グローバル化による知識産業社会と変貌しつつあります。そして、AIが人間の脳の機能を超える「シンギュラリティ」(技術的特異点)が、2045年にはやって来ると言われています。その中で、多くの職業がAIやIOT技術の発展によって代替されると言われます。
「AIが神になる」、「AIが人類を滅ぼす」「「シンギュラリティが到来する」など多くのAI(人工知能)論議が行われています。しかし、本当にコンピュータは、人間の能力、脳機能を超えていくのでしょうか?
東大合格を狙うAI「東ロボくん」を研究し、推進して有名になった国立情報研究所の数学者新井紀子教授は、「AIが神になる?」―なりません。
「AIが人類をほろぼす?」―滅しません。
「シンギュラリティが到来する?」―到来しません、とはっきり断言されています。
「AIがコンピュータで実行されるソフトウェアである限り、人間の知的活動のすべてが数式で表現できなければ、AIが人間に取って代わることはありません」、「コンピュータの速さや、アルゴリズムの改善の問題ではなく、大本の数学の限界です」、「基本的にはコンピュータがしているのは四則計算です。人工知能の目的は、人間の知的活動を四則計算で表現するか、表現できていると私たちが感じる程度に近づけることなのです」と明瞭に述べられています。
そして、もう一つの重要な問題は、「AI」という言葉と「AI技術」が混同されて使われている」と言うことです。すなわち、「AI技術をAIと呼ぶことで、実際には存在しないAI、人工頭脳がすでに存在している、もしくは、近い将来に登場するという思いが生じている」と指摘されています。
しかし一方では、「シンギュラリティは来ないし、AIが人間の仕事をすべて奪ってしまうような未来は来ませんが、人間の仕事の多くがAIに代替される社会はすぐそこに迫っています」とも述べられています。
「東ロボくん」は、東大には合格できないが、関東のMARCHや関西の関関同立と呼ばれる有名私立大学レベルには合格できるようになっていると言われます。
確かに、チェスや将棋のルールようにある限定された条件のもとでは、推論と探索はその並外れた計算力を発揮できますが、条件が簡単には限定できない現実の問題を前にすると無力であること」が、多様な入試問題を解く試行錯誤の中で、明らかになってきたそうです。これは「フーレム問題」と呼ばれ、目的・目標が明確で、限定条件が決まった問題に対しては、優れた能力を発揮できるが、その枠外では、今なおAI開発の壁となっている課題の一つです。
更に重要な点は、人の幸福は数値化できない、四則計算できないと言うことです。AIやロボットには、数式の意味は理解出来ません。また、「何が人間社会において役立つか」は理解出来ません。「社会に役立つ道とは何か」を知ることが出来るのは人間だけです。
患者さんの幸福を第一とするおもてなしの精神、「ホスピタリティ・マインド」、建学の精神に述べられた「奉仕の精神」は、数量化できないものです。急速にIT化の進む医療社会へと旅立つ皆さん自身が、探求し続けなければならない究極の課題と言えます。
その意味で、本学の建学の精神「社会に役立つ道に生き抜く奉仕の精神」もう一度思い出して今後の指針として頂きたいと思います。本学名誉学長八瀬善郎先生は、建学の精神を「逆説的運命(paradoxical destiny)」と言われ、時が経つほど、古くなるほど時宜を得た大切なものとなるとおっしゃっています。

 最後にもう一つ、私たちの学園の淵源は、東洋医学、特に鍼灸学にあります。
私の愛読書一つに、幕末の儒学者・佐藤一斎の著した『言志四録』という書があります。今、放映中の西郷(てご)どん、西郷隆盛も座右の書として、その百〇一条を書き写して『手抄言志録』として懐に入れて、日々読んでいたそうです。佐藤一斎の弟子であった佐久間象山をはじめ、吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬、伊藤博文といった幕末の志士達のバイブルでもあったと言われます。その中に、「箴は鍼なり、心の鍼なり」という言葉があります。最初の「箴(しん)」は、竹冠のついた諌めの言葉という意味の「箴言」の箴(しん)という字です。この言葉の意味するところは、「賢聖の言葉というものは、心にひびく鍼である」と言うことです。この鍼灸の鍼(はり)の身体への響きと諌めの言葉(箴)としての心への響き、この両者を「心の鍼」と心身一如に捉えることのできる感性は、すごいと思います。これは、身体感覚と心を分離してしまったIT社会の私たち現代人への警鐘ではないでしょうか。

 「箴は鍼なり、心の鍼なり」

この言葉を理念とする医療技術を私たちは、本学のクレド(信条)において、た「ヘルス・アート」と呼んできました。東西医学を融合した医療を目指し、初心に立ち返ってこれからの第一歩を社会へと踏み出して頂きたいと思います。

最後に、改めて皆さんのご卒業ならびに修了、誠におめでとう御座います。

平成二十九年三月九日
関西医療大学学長 吉田宗平

2018/01/14

Message.05

2018年年頭のあいさつ

皆さん、明けましておめでとう御座います。

今年は、西暦2018年戌(いぬ)年。1868年の大政奉還、すなわち、明治維新から百五十周年にあたる記念すべき年です。

当時の日本も今日と同じく、「行き先が不透明な時代」でした。その時代の中で、今日の大学、とりわけ私たち私学も、増大する世界人口の外からの大波、グローバリゼーションと、国内においては少子高齢社会の人口減少という引き潮、すなわち、この不安定な内外の荒波の直中に翻弄されている時代と言えるかもしれません。

国連によると、世界人口は、2015年(平成27年)には73億人、2050年には97億人、2100年には112億人と急速に増大し、先進国の低迷に対して、アフリカ・アジアなど発展途上国が急増して、世界の人口の均衡が崩れ、不安定で不透明な時代に突入すると言われています。

さて、150年前の日本も現在とも明治維新とよく似た、さらに厳しい時代でした。この先の見通せない時代、不安定な時代の中で、懸命に未来をてらす「灯火(ともしび)」を掲げた二人の偉人がありました。西郷隆盛夏目漱石です。

今年の大河ドラマは、「西郷どん」と言われていますが、彼は「敬天愛人」という言葉を、また、夏目漱石は「則天去私」という言葉を残しています。

今日は、西郷どんの「敬天愛人」について、本学の「建学の精神」や「クレド」にある「忠恕」や「修己治人」との関連に少し触れたいと思います。

西郷さんの考えを知るには、彼を敬愛した東北の庄内藩で編纂された小冊子『南洲翁遺訓』があります。その中で、彼は「講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以もって終始す可べし」「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」と語っています。

本学の建学の精神は「社会に役立つ道に生き抜く奉仕の精神」です。その「社会役立つ道」、すなわち、「講学の道」は、天を敬して人として行う道であり、「我を愛する心を以て人を愛する」、すなわち、「忠恕(まごころ)」を持って人を愛し、「身を修するに克己を以もって終始す可べし」とあり、「修己治人」とその意味するところは同じで、「奉仕の精神」とも通じるものです。

言葉は、人生をも変えうる力を持っています。

西郷さんは、幕末の儒者・佐藤一斎を尊敬していました。佐藤一斎の著書『言志四録』は、弟子であった佐久間象山をはじめ、吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬、伊藤博文といった幕末の志士にも大きな影響を与え、さらに松陰の門下には、明治の創世期に活躍した高杉晋作、伊藤博文、山形有朋らがいます。佐藤一斎は歴史の流れについて、「天の意思も人間世界のあり方も刻一刻と変化している。それゆえ、歴史の必然的な流れをとどめることはできないし、人間の力ではその流れを早めることもできない」と述べています。

つねに一斎の「」の思想は西郷さんに受け継がれ、座右の銘「敬天愛人」となっています。

<逸話>

ある日、陸軍大将であった西郷が、坂道で苦しむ車夫の荷車の後ろから押してやったところ、これを見た若い士官が西郷に「陸軍大将ともあろう方が車の後押しなどなさるものではありません。人に見られたらどうされます」と言いました。すると、西郷は憤然として次のように言い放ったといいます。

「馬鹿者、何を言うか。俺はいつも人を相手にして仕事をしているのではない。天を相手に仕事をしているのだ。人が見ていようが、笑おうが、俺の知ったことではない。天に対して恥じるところがなければ、それでよい」

他人の目を気にして生きる人生とは、相手が主役で自分は脇役です。正々堂々の人生とは、真理と一体になって生きる作為のない生き方です。天とともに歩む人生であれば、誰に見られようとも、恥をかくことはありません。

西郷さんは、志士や英雄の闊歩した明治維新のなかでも特に人望のあった日本人でした。さらに現在でも、鹿児島出身の京セラの名経営者・稲盛和夫氏にもその精神は受け継がれ、この混迷の時代の経営における「灯火」となっています。

さて、江戸時代後半の人口は3,000万人強で安定していましたが、維新後3,300万人となり、その後第一次、第二次世界大戦の「富国強兵」政策から、戦後の「高度成長期」を経て、2004年まで一気に急上昇し、人口は12,784万人でピーク(高齢化率19.6%)に達して、以後減少に転じています。この2018年は、団塊ジュニア世代が出産期から外れ、団塊世代の戦後のベビーブームにおける年間出生数269万7000人(1949年)から100万人を切る事態となっています。

これは2018年問題といわれ、「進学希望者の減少」への転換点とされています。しかし、この人口減少は今に始まったことではありません。戦後のベビーブームは1947~1949年の3年間しか続かず、翌1950年には年間出生数233万7000人と一挙に36万人減り、更に7年間後の1957年(昭和32年)には年間出生数156万7000人の落ち込み、1949年からは計113万人も急激に減少しています。まさに、この年に私たち学園の関西鍼灸柔整専門学校が創立されております。少子化の影響は、団塊の世代の高齢化と進学率の上昇の陰で、これまで社会の表層には現れては来ませんでした。しかし、現実には、1995年生産人口もすでにピークアウトしておりました。

これからの人口の推移は、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)によりますと、2030年には人口11,522万人(高齢化率31.8%)となり、2039~2040年には死亡数のピークを迎え、ここまでは人口減少は止まらないと言われています。厳しく見れば、日本人は「絶滅危惧種」であるとさえ言われています。少子高齢化への人口動態は先進国の一般的特徴と言われますが、実際は2010年の人口を100とすると、2060年人口が減少する国は、日本 (67.7)、韓国(89.9)、ドイツ(79.1)の3国のみで、その他の先進国、イタリア(102.8)、スウェーデン(116.0)、イギリス(131.4)、ノルウェー(141.7)、アメリカ(142.1)、オーストらリア(163.1)など人口増加するとされています。

では、私たちはどうすればいいのか

ここで、大きな発想の転換が必要とされています。私たちの大学も、これまでの高度成長期の"上昇への脅迫観念"からの脱出する必要があるのではないでしょうか?

量から質への転換―大学の「ブランド」をはっきりと掲げる、荒海にもまれても倒れないマスト、西郷さんの「敬天愛人」という明治維新の「灯火」となった理念をもとに、「建学の精神」を真にこの地に根付かせ、具現化しなければならないと考えています。

入学志願者の減少という2018年問題に対抗して、魅力ある「ブランド力」をつけるには、

  1. 「大学は誰のものか」ー学生が第一(Student-first)
  2. 「わたしたち大学の果たすべき役目は何か」(ミッションの確立)

を明確にすることにあります。すなわち、「この大学の4年間でどういう人にして卒業させるのか」と問い直して、「グローバル環境に対する認識をやしないつつ、国内において中核となる技能を備えた医療人を育成する」と言うミッションを具現化することではないかと考えています。

そして、それを保証し、検証する教職協働システムの二つの柱を確立すること、すなわち、一つは、ミッションを反映した工程表=「シラバス」、「ナンバリング」、「カリキュラムツリー」等をシステム化するこ、二つ目には、成績・教育効果の適正な評価=IR推進室の確立とfGPAの導入し、客観的基準をつくることではないかと考えています。さらに、それを得られた成果の検証し、更に発展させることが求められると思います。すなわち、PDCAサイクルの確立です。

常に、「学生のためになっているのか」、「学生の成長に資することになっているのか」、

学生が払った学費に見合う教育をその学生に還元できているのか」と問うことが必要です。

最後に、初春おける当面の課題として、来週に迫った、入試センター試験の単独開催、2月22日は本学園創立60周年記念祝賀会を経て、更に4月1日作業療法学科の新設へと続き、本学はしっかりとしたミッションを掲げて、2学部6学部の医療系総合大学へと質実共に発展させなければなりません。

不沈の黒船として、本学の「建学の精神」共々「天敬愛人」の帆を掲げて、この荒海を乗り切りたいと思います。

どうか今年も皆さんのご協力をお願い致します。力をあわせて頑張りましょう!

平成30年1月6日
関西医療大学
学長 吉田宗平

2017/01/18

Message.04

平成29年度 年頭のあいさつ

皆さん、明けましておめでとう御座います。
今年の干支は、「酉」です。はばたくという意味で、「飛躍の年」と言われます。皆さんは、もう初詣に行かれたかと思いますが、神社には絵馬が飾ってあります。

京都の私の住む嵐山の近くに松尾大社があります。今年は、十二支の絵馬を懸命に完成させた後、末期ガンで亡くなったある版画家の「鶏の大絵馬」が掲げられました。このあとも干支が一巡シするまで、その版画家の絵馬を飾る予定だそうです。「酉」の氵(さんずい)を付ければ「酒」と言う字になります。同大社は酒造りの神を祭る神社でもあります。何か正月の酒は陽気で、この絵馬の朝を告げる鶏にあやかり、「酉年をきっかけに、社会が明るくなれば・・・」との願いが込められています。

「酉」にあやかって、もう一つ余談ですが、前前学長の八瀬善郎先生は、ご自宅を「鯤亭」と言われています。鯤というのは、『荘子』の内編第一編「逍遥遊」、悠然と物事にこだわらず遊ぶという意味ですが、その話の中に出てくる暗い海に住む大きな魚を意味しています。魚(へん)に昆虫の「昆」と書きます。

もともとは、小さな魚、まだお腹から出ていない「はららご」を意味したようですが、それが巨大な鳥、いわゆる大鵬となって、大海原に大風を巻き起こして舞上がり、何にも捉われず、九万里の天空、宇宙に飛び上がる話です。ちなみに、かつての横綱大鵬の名はここから由来するそうです。

そして、さらに驚いたことに荘子は、大鵬の目を通して地上を見返した時、地球は蒼蒼としていたと述べています。やっと人類が月に到達し、「地球は青かった」と述べたガガーリンの二千数百年前、紀元前にすでに壮大な創造力をもって、地球を見ていた荘子の壮大な見地には全く驚かされます。

さて、ここで寓話の世界を離れて、現実の世界に戻りたいと思います。昨年は、皆さんのお蔭で、本学として第2回目の「認証評価」を受け、「可もなく不可もなく」と標準的で、無難な評価を受けています。大学としての基礎は出来ているとの評価でしょうか。しかし、残された課題は、まだまだ多あります。

私学として建学の精神「社会に役立つ道に生き抜く奉仕の精神」のもと、どう独自性を持った大学として築きあげるか、他の大学とどこが違うのか、どこに本学の存在価値があるのか、を明確にしていくことです。すなわち、本学が、これから2018年問題としてやって来る少子化による社会変動、すなわち、高度成長時代の高潮の頂点を過ぎてやってくる深刻な引き潮の力に抗して生き抜くためには、全員が一体となるための羅針盤、指針が必要です。それには、本学の「建学の精神」と「クレド」、そし現在皆さんとともに懸案中の「三つのポリシー」を中心軸として、大学の「質」と「独自性」を改革する方向を明らかにすること、学生にとって「価値ある大学」にすることが緊急の課題として求められています。

「少子化」と「大学の作り過ぎ」、この二つが今日の大学経営の元凶といわれています。1999年頃から、大学への進学希望者と入定員のバランスが崩れ始め定員割れという事態が増え始め、現在は40%を超えるまでに至っています。本学にもその前兆がないとは言えません。この「定員割れ」こそ、大学の赤字経営のキーワードであり、それは絶望的な「募集停止」、いわば大学の「心肺停止」に直結していきます。この1月はセンター入試の時期でありますが、共同してきたプール学院大学はすでに大学機構自体の大改革を始めています。この危機をどう乗り切るか、大学によって課題は様々異なります。

しかし、この危機こそチャンスだという考えもあります。

「最も大切なことは、大学に入学してくる者、学生が大学教育の中でいかに成長できるか、どういった人間になって社会にでていけるか」と言うことだといわれます。本学が独自のミッション(使命)、すなわち、どうしても医療人として成長するためには本学を選びたいと高校生に思ってもらえる独自のミッションを掲げる必要があります。大学と学生の「適切な出会い」を図るためには、大学のミッションと学生の希望を「マッチング」することが大切です。

その意味で、「自分たちが提供できる教育」とは何か、を真摯に問いかけて、それを具現化できる「三つのポリシー」に仕上げることが緊急の課題と思われます。それには、大学の教育力の再生とわれわれ教職員の自己改革が是非とも必要です。

本学は、本年度臨床検査学科が完成年度を迎え、更には平成30年度には作業療法学科を新設して2学部6学科の医療総合大学へと更に発展する計画をもっています。そして、学園全体としては、創立60周年を迎えます。本年はそのための「飛躍の年」として、「大鵬の理念」をもって教職協働、一丸となって天を目指すことを願って止みません。

しかし、皆さんの一歩一歩が積み重なり、この理念の実現に繋がることが最も大切だと思います。「一の字、積の字恐るべし」と幕末の志士達の精神的主柱であった佐藤一斎はのべています。
この「飛躍の年」をどうかともに、一歩一歩大学の改革へ向けて、教職協働して歩もうではありませんか。

平成29年1月6日
関西医療大学
学長 吉田宗平

2016/04/04

Message.03

平成二十八年度入学式式辞

桜も満開のこのよき日、平成二十八年度 関西医療大学並びに大学院入学式を挙行するに当たりましてご来賓の皆様方には公私共ども何かとご多用の中、本式にご臨席賜り誠に有難うございます。熱く御礼申し上げます。

新入生の保健医療学部219名、保健看護学部101名の計320名の皆さん、及び大学院生8名の皆さん、また、ご列席のご父兄の皆様には、この度のご入学、誠におめでとうございます。

私ども教職員一同、心から皆さんを歓迎し、これからの希望の実現へ向け、精一杯努力したいと思います。大学での四年間、大学院の二年間、皆さんが自信と誇りを持って勉学に励まれますよう、心から支援したいと思っています。

本学園は、建学の精神社会に役立つ道に生きぬく奉仕の精神のもと、創始者武田武雄が、昭和32年大阪「あべの」に現在の関西医療学園専門学校を設立したことに始まります。その後、昭和60年には、関西鍼灸短期大学熊取町に開学し、平成15年には、新たに四年制大学として改組変更し、関西鍼灸大学となりました。更に、平成19年には関西医療大学名称変更し、以来、広く保健・医療の分野に門戸を開てきました。

ここ十数年で、本学は、大学の保健医療学部4学科と保健看護学部1学科、そして大学院の保健医療学1研究科を合わせて、学生総数、1233名を擁する保健医療系の総合大学へと、大きく発展してきました。特に、鍼灸など東洋医学的な伝統を生かし、西洋医学と融合し、全人的医療を担える人材の育成を目標としてきました。

毎年、春は巡ってきます。
今朝、皆さんはどんな気持ちで朝を迎えられたでしょうか?

「春、それは混沌から生まれる宇宙。どの季節も、それが巡ってきたときは最高のものに思えるのだが、わけても春の訪れは、混沌からの宇宙の創造、黄金時代の到来のように思える。」と、思想家ヘンリー・ディビッド・ソローは、彼の名著『ウォールデン森の生活』の中で語っています。彼は、1845年、 米国独立祭の日に、ウォールデン池のほとりで、自給自足の「森の生活」を始め、思索を深めました。そのことにより「思索と<<自然>>の学士」と呼ばれました。

また、彼は、「市民の不服従」、良心的不服従の理念を称え、トルストイガンジー深い感銘を与えたことはよく知られています。

 その著書の中で、「春という季節は、すべてを一度許すために巡ってくる。一度小雨が降っただけで、草の緑は濃さを増す。同様に、よい思想が入ってくると、僕たちの展望も明るくなる。もし常にいま生き、わずかに降りた露の影響さえ正直に表す草のように、この身に起こるあらゆる出来事をうまく活かすことができれば、僕たちは幸福になれるだろう。すでに春が来ているのに、僕たちはまだ冬をさまよっている。すがすがしい春の朝には、人間はすべて許されるのだ。」と述べています。

寒くて、長い冬の惑いの中から、春の暖かい日差しへと躍り出たような初々しい皆さんへの、ソローからの「新たなスタートの春へのメッセージ」のようです。


さて、私たちの身の回りの大学教育の現状を見てみますと、今や日本は、少子超高齢社会へと突入し、少産・少死となり、人口構造が大きく変貌しています。また一方では、ITの急速な進展により、高度な知識産業社会となり、グローバル化が急速に進行する中で、明治以来の大学教育「大改革」が求められています。

ソローの『森の生活』に見られるような十九世紀の豊かな、古きよき時代とは対照的に、私たち人間を取り巻く社会環境は、近年のIT革命驚異的な発展と相まって激変しています。「ムーアの法則」と言われるようにIT機器は1年半で半値となり、急速に夥しいIT機器や情報が社会に氾濫するようになりました。


 その中で、翻弄された私たちの」は、自然のリズムや瑞々しい感性を失い、悲鳴をあげているのではないでしょうか。

現代人は、自然との接触を失ったヴァーチャル空間の中で、知らずしらずのうちに深刻な「脳疲労」に陥っていると言われています。うつパニック障害など、ストレス性精神疾患が増大しており、働く人たちのストレスの管理が、一般企業や大学などの組織においても、法的に義務づけられるようになって来ました。

また、私たち現代人は、「ひょっとしたら、自分の脳の使い方さえ解らなくなっているのかも知れない」と脳科学者の茂木健一郎氏は警告しています。

私たちが、日々生活の中で獲得する知識は、けっしてむきだしの素材のまま「に記憶される訳ではありません。それは、様々な体験と関連づけられて初めて、生きた意味をもつ智慧」として蓄えられます。知の在り方には、「生活知」と「世界知」と呼ばれる、二つの知のタイプがあります。

生活知」とは、私たちの実生活に寄り添った、生きた自助努力や友人・家族などと協働した、いわゆる、よりよい生活を送るための日々の選択の判断材料となるような、身近な一人称や二人称の世界で得られた「教養」を意味します。

一方、「世界知」は、疎遠な、三人称の世界の中で、「生きていくための武器」としての教育や学習の中で獲得されて行く、いわゆる客観的、科学的な知識」を意味します。

しかし、「生活知」においては、を自分自身と家族や友人との間の喜怒哀楽の感情に押し流され、一人称の狭い偏見の枠に捉われて、人間関係を壊してしまう失敗を犯してしまうことがままあります。

また一方、「世界知」においては、生きた知を私たちの生から切り離し、冷たい、三人称の客観的な世界の側に押やってこころの暖かみや感情を失ったものにしてしまいがちです。

このように両極端な、二分された私たちの「のあり方を克服するためには、この二つの「知の関係をよく考える必要があります。うまく両者のバランスを取ること三人称の世界知」をもっと身近な一人称の生活知」の側に引き寄せ、豊かなものとすること、そうした努力が求められています。

少し話が変わりますが、「死を考えるとは、生を考えることである」とよく言われます。
私たち人間にとって、「」は、生ある限り、重大なテーマで、これから命を守る医療人として、これから成長を目指す皆さんにとっても、避けて通れない重要な問題です。

現代フランスの哲学者ジャンケレビッチ氏は、誰との「」を考えるか、自分と他者との係わり方から、すなわち、私を中心とした「死の人称性」という視点から、問題提起しています。

第一に、一人称の死」とは、勿論私の死で、自分はどこでどのような死をむかえたいか、どのような死を尊厳死と考えているか。そして、ここでは死の前でどう生きるべきか、何をなしとげたいかという生き方そのものが問われます。

第二に、二人称の死」は愛する人の死(家族や親友の死)で、そこには、二つの課題があります。一つは、旅立つ人を支える役割と、もう一つは、残された者のグリーフワークの営みです。

そして、第三の三人称の死」には、比較的身近な親戚や友人・知人の死からアカの他人の死事故や地震などの災害による死、また、国際的なテロによる死までを含みます。

ここで私たち医療人にとって、重要なのは、患者さんやクライエントの死は、決して無味乾燥な関係にあるのではなく、単なるアカの他人の「三人称の死」とは異なる、ということです。すなわち、医療人としては、より身近な視点として、一、二人称と三人称の間に、もう一つの新たな「二・五人称の視点」がなければならないと、ノンフィクション作家の柳田邦男氏は指摘されています。

医療人が、単なるガイドラインやマニュアルとかに頼って、機械的に三人称の仕事をこなすだけになってしまったら、温もりもおもいやりもない医療となります。かといって、 一方で、一、二人称の枠に囚われ、自分の激情に流されたり、相手の感情にまで同化してしまっては、客観性も冷静さも失い、医療人としての専門性を発揮することが難しくなります。

医療の中では、二人称の相手のこころに寄り添いつつも、専門職としての三人称の客観性、冷静さを失わない姿勢、すなわち、左右にぶれない、バランスを保った二・五人称の視点」が必要とされます。

また、この視点から得た実践的な「知」を、哲学者の中村雄二郎氏は、「臨床の知」と呼んでいます。そして、「人間の体温を絶対零度にした近代科学の知に対し、血流と体温を再生させる思想であり、視点であり、方法として更に深化させなければならない」と述べられています。

私ども医療人とって、この「二・五人称の視点」を身に付け、生きた「臨床の知」を磨くことが、医学教育の「本来の使命ではないか、と思っています。

また、この二・五人称の視点から得た「臨床の知」こそが、現代のチーム医療の中で言われる、インフォームドコンセントとコミュニケーションを成立させる必須の条件ではないでしょうか?

私の学んだ米国Mayo Clinicでは、「究極の医療」を目指す"百年のブランド"として、三つ指針を上げています。

第一に、患者の利益がまず優先すること
(The needs of patients come first)
第二に、患者の最大限の利益を常に追求すること
(The Best Interest of Patient)
最後に、医療とは協調とチームワークを要する協力の科学である、と。
(Medicine is a cooperative science, requiring collaboration and teamwork、1910年)

ソローの言うように、「春の混沌からの宇宙の創造、黄金時代の到来」秘かな足音を敏感に聞き分け未知の出来事を察知して、積極的に自分の生き方に組み入れていく能力、更に加えて、現代の私たちは、「二・五人称の視点を持って、いかに「臨床の知」として血肉化された教養を身につけるのか、それが大学における「学び」大学教育本来の目的ではないかと思います。

ひいては、本学の建学の精神社会に役立つ道に生きぬく奉仕の精神」とも、その真意においては相通ずるものと私は思っています。

さて最後に、もう一つ、

小説家島崎藤村は、「三智」(三つの智慧)ということを述べています。

人の世に三智がある 学んで得る智 人と交わって得る智 みづからの体験によって得る智がそれである」と。

そして、人間としての基礎をつくる「生きた教養を身に付けるための術は、この三つ以外にはないと、述べています。

これからの四年間、皆さんは、大学生活の中で、「三つの学び」を通して、生きた教養、「臨床の知を身につけた医療人として成長して頂きたいと願っています。

どうか、今日、ここからその第一歩を踏み出して頂きたいと思います。

平成二十八年四月四日
関西医療大学学長 吉田宗平

2016/01/06

Message.02

新年あいさつ

皆さん、あけましておめでとう御座います。

この正月、異常に暖かくもう春かなと思うくらいでした。
何かいい夢をみられたでしょうか?

新年(平成二十八年)は「丙申」(ひのえのさる)の年、季節感では秋、昨年から養ってきたものが実を結ぶ年とされています。

我が家には、正月そうそう嵐山から猿がやってきて、裏庭を走りまわりました。おめでたいのかも知れませんが、はなはだありがた迷惑というのが、私の心境です。

昨年度は、学校教育法改正によるさまざまな改革が国より打ち出されました。人口激減の中にある日本経済を支え、「地方創生」に有能な人材育成のため、大学の改革と、その「質」の保証が求められていると言えます。
私立大学は、国の高等教育のうち、大学数でいえば77%、学士課程の学生数でいえば74%と、その大部分を担っています。しかし、国の私立学校振興助成は、法的には「二分の一以内」を補助することができるとなっていますが、助成法制定後40年を経た現在も10%から伸びてはおりません。また、国公立大学とくらべると、その助成は「十二分の一」と言われており、私学への補助のあり方が問われています。
また、国公立大学とは異なり、私立大学は独自の「建学の精神」を持ち、その学風の中で多様な知識・技能を持つ「分厚い中間層」を育成することが、その使命とされています。
これまでと違い、閉ざされた象牙の塔、「学問の府」というより、開かれた「実践的な職業教育を行う」大学の役割が求められ、時代の大学像は変化しています。

さて、そのような現状の中、本学にとっては、本年は正に認証評価の年であり、その「質」を問われる年であります。前回の認証評価以来この7年間の"成果と反省"の上に立って、本学発展の基礎固めをする年でもあります。

建学の精神、「社会に役立つ道に生きぬく奉仕の精神」とクレドに示した教育の理念と信条(「忠恕」「修己治人」)を創意工夫して、具現化することが求められています。そのため、平成30年の学園創立60周年に向けて、中長期計画とそれを具体化するためのAction Planを作成し、更なる本学発展の道を切り拓く、ターニングポイントの年と言えます。

昨年来、高大接続改革、高校での学力の三要素、大学入試改革が答申され、大学における三P(ディプロマポリシー、カリキュラムポリシー、アドミッションポリシー)の明確化が求められました。すなわち、今日までの偏差値教育を廃止して、学力の三要素、すなわち、「知識・技能」「知識・技能の活用力」「主体性・多様性・協働性」について、高等学校で習うべき教育をどう評価・判定するのか、しっかり、アドミッションポリシーに書き込むことが強調されました。このアドミッションポリシー を作成するには、まずディプロマポリシーを作り、その達成のための課程に基づくカリキュラムを構築すること、すなわち、カリキュラムポリシーの作成ですが、その上で、これらを達成できる人材を如何にもとめるのかを明示して、アドミッションポリシートして公開し、入試選考のよりどころとするころが求められています。要するに、「大学には三つの接続問題がある」と言われます。一つ目は「高校から大学への接続」、二つ目は「大学から社会への接続」、そして、最後は「大学内部におけるカリキュラムの接続」です。

こうした論議の中、国立大学では、機能分化として三分野に分けられ、人文社会分野教育の見直しが提唱されました。一方、私立大学に対しては、都市部と地方の偏りの是正を目的に定員管理の規制強化が制度化され、これからの受験者減少を考えると、中小の私立大学にとっては、更に厳しい現状といえます。

これからの2018年問題、2020年問題、2030年問題と続く、少子高齢化、人口減少化時代に向け、あらゆる知恵と手段を講じて、本学も社会に役立ち、生きぬく道を模索しなければなりません。これまでの上昇気流はもはやなく、真っ向から吹き下ろす風に独自にたち向かわなければなりません。

話は変わりますが、昨年ノーベル生理学・医学賞を受賞した北里研究所顧問の大村智氏は、「こうしたいと思ったら、絶対絶えず求め続けるべき。求め続けなければ授かることできはない。そして、分かれ道があったら、楽な方でなく、難しい道を選びなさい。苦労して失敗しても爽やかな感がのこる」の人生の姿勢を述べています。

勿論、大学の経営、存続のためには大きな失敗は許されません。しかし、本学の教職員の皆さんの失敗を恐れない「チャレンジ精神」を最大限に受け入れつつ、失敗の影響を最小限に止めること、その舵取りによる最適化が、学長としての私の使命ではないかと思っています。

最後に、もう一言、

「強いものが生き残るのではなく、変化するものが生き残る」

とは、チャールズ・ダーウィンの言葉です。

皆さん、こらから始まる入試シーズンを乗り越え、全学が協調して新たなパラダイム・シフトに兆戦できるよう、どうか今年も宜しくお願い申し上げます。

平成二十八年一月六日

2015/07/13

Message.01

『小論語』の世界-「学習」とは何か?

 この『論語』の冒頭(学而第一)は、「小論語」と言われます。日本の江戸時代の有名な儒者伊藤仁斎は『論語』の思想のすべての基礎が込められていると言っています。しかし、そのため「小論語」には様々な解釈がなされています。ここでは、多少我田引水になりますが、字源から「学而第一」述べられている思想を私なりにを辿ってみたいと思います。

(学而時習之 不亦説乎)

 何かを「学びたい」というのは人として本来持っている欲求や好奇心と言えます。未知の知識を探求し、また、新しい技術を身につけたいと思います。しかし、はじめの段階では、物事がよく理解できず知識や形式に振り回され、暗中模索の状態に陥ります。この模索の過程は「学而」と表現されています。すなわち、「学」の旧字は「學」で、両手を使い手取り足取り教わること。自分自身の五感や身体を使って「マネること」を意味しています。そして、「而」は、巫女や巫男の長い髪やひげをイメージしており、呪術的な長くて暗い時の流れを表現しています。そればかりか、惑い捉われ、自分自身を見失ってしまう危険をも暗示しています。『論語』為政第二、十五には「子曰く、学びて思わざれば則ち、罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」とあります。その危険性が述べられています。

 しかし、抱いた疑問を投げやりにせず、思考回路を常に開き、真摯に繰り返し学んでいると突然ひらめきの「時」が来が訪れます。そして、飛び立ちの時となります。「パタパタ(白々)」と雛が巣から羽音をたてて飛び立つイメージ、これが「習う」と言うことの原義です。このような「知の飛躍」が起こるとき、それはなんと楽しいことではないか。わくわくする気持ちになるではないか・・・と問いかけています。また、そこに到達したときの感激、学習過程の本当の楽しさと喜びを語っているのではないでしょうか。

 一方、この思想は日本の茶道や武道の伝統的文化や仏道の根本において「守・破・離」という言葉で伝承されてきました。すなわち、「学而第一」の条文「学而時習之」とは、「学而」(=「守」)から「時」(=「破」)を得て、「習之」(=「離」)へ、と飛躍・発展する学習過程を述べていることで基本的には共通しているのではないでしょうか。

(藤原稜三)

 この「守・破・離」という言葉は、もともとは兵法の修行の過程で用いられたと言われますが、今日では「学びごと」において一般的に使われ、「守」は下手、「破」は上手、「離」は名人を意味するとされています。しかし、上述したように「学而第一」の学習過程を考えると、「守」は惑いながらもひたすら学ぶこと、「破」は教えの言葉からある時突然抜け出し真意を会得すること、「離」は型にいっさいとらわれることなく、自由に飛翔する段階に達することを意味します。

 ここで、大学教育考えるうえで重要なことが二点あります。その一つは、どのような学習過程にも、与えられた体系をひたすら学ぶ、「守」の段階を踏まなければならないということです。もう一つは、その体系や教えの目的も、その規律や教え自体ではなく、むしろ、そこから抜け出し、新たな創造的な次元へと発展することにあります。最近の大学教育において、知識偏重ではなく独創性や個性を尊重することが、盛んに述べられるようになってきました。しかし、重要なことは、いかなる道においても前者の「守」の段階、すなわち「学而」の状態がまずなければならないことです。そうして初めて、「学」から、ある「時」に豁然と「習」への飛翔ができるのではないでしょうか。

 次いで、第二の条文においては、遠方よりやって来た友について述べています。

(朋自遠方 不亦楽乎)

 思いもかけず、遠い遠いところから友がやって来る。談笑のうちに、お互いの学習回路が開かれ、打ち解けて真実を語り合う。それは、なんと楽しいことではないかと。しかし、これを比喩的表現と捉えると、「学」によってまだ惑いの段階にあり、身におびてはいるが、まだその本質に出会っていないとき、それが「習」のある時、突然に身体化されると。すなわち、不要なもの、余計なものが排除され、呪縛から抜け出した喜びを感じる、それが遠方より来て知己を得た友とものように感じられ、うれしいということではないでしょうか。

 最後に、第3の条文では学問への心がまえを述べています。

(人不知而慍 不亦君子乎)

 長い間、世人が自分を認めてくれなくても、怒って拒否的になり、学習回路を閉ざしてしまうこともない。それでこそ、「君子」ではないかと。どんな状況にあっても、この学習回路を常に「開いた」姿勢を相手に対して崩さず、「思考停止」や「思考拒否」をしないこと、すなわち、相手を拒絶したり、差別しないことが語られています。ここには、人間相互のコミュニケーションにおいて、相手に対して常に「学習回路」を閉じない姿勢を堅持することが、ハラスメントを生じさせないための必須条件であることが語られているように思われます。

 学習回路を開き、自己の「中心」がぶれることなく、心のままに偽りないあり方を、『論語』では「忠」と言い、他人への思いやりの心を失わないことを「恕」と言っています。すなわち、「忠」は、人のために誠をつくすこと、すなわち、まごころ。「恕」は、思いやりと言われます。「忠恕」は、まごころを持って、思いやること。『論語』における用例をみると、「忠」は、「曾子曰く、吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか、と。」(学而第一の四)とあり、また、「恕」は、「子貢問いて曰く、一言にして以て終身之を行う可き者ありや、と。子曰く、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施す勿れ、と。」(衛霊公第十五の二四)とあります。この「忠恕」の精神を会得した人が、「仁」たり得る「君子」と呼ばれます。

 最後に、「大学とは何か」とよく言われます。私は、いつも「修己治人」(『大学』)という言葉を思い出します。『論語』の中では、「脩己安人」(自分をおさめ人をやすらかにする)と述べられております。大学教育の本質は、常に思考回路を閉ざすことなく人とコミュニケーションでき、人々に「やすらぎ」を与える医療人を育成することにあると、私は考えています。これが、医療における「究極のホスピタリティ」を目指す基礎となると信じています。